テンガロン
 太宰府ブルーグラス・フェスティバルを主催するパブ・グラス(現在のブルーグラス・ミュージック・ファンクラブ)の本拠で福岡市周辺で唯一のブルーグラスのライブスポット「テンガロン」には中島ファミリーバンドも早くから出演しました。

 戦後の米軍「板付キャンプ」の近くで、現在は福岡市のベッドタウン化が進む春日市に約20年前オープンした小さな店です。マスターの松岡氏は一時期ですがプロ活動の経験があり、お店のお客さんとのブルー・ペッパーというバンドではバンジョーを、奥さんも女性だけのグループでマンドリンを弾いていました。

 子たちはこのテンガロンが大好きでした。何故かといえばお客さんが多い時はカウンターの中に入ってマスターの手伝いをする、お店ごっこが出来るからです。私も中洲からの帰りは(自宅とは逆方向)必ずここに立ち寄りました。

絵美と私
写真は1987年10月、テンロンにて私と小学5年の絵美です。
この頃は可愛ゆうございましたけど、今じゃ香水の香りが...。


 お金を持ち合わせてなくてもマイペースで飲めるし、いたかったら勝手に歌うこともできるし、楽器だって弾けるし、ここはブルーグラス愛好者のオアシスでした。 
 
 しかし残念なことに1991年(平成3年)に閉店しした。このテンガロンの店じまいを契機に太宰府フェスもなくなりバンド数も激減していきました。ちょうどこのブルーグラス音楽のサークル「パブ・グラス」の主要メンバーが結婚し、育児を始めた頃でした。

 


橋本のおじちゃん
 子たちがこう呼ぶ「橋本のおじちゃん」はブルーグラス、オールドタイム音楽が三度の飯より好きな橋本健氏のことです。「ブルーグラス音楽」「カントリー音楽の歴史」「ユー・アー・マイ・サンシャイン物語」等の著書がある三井徹氏(金沢大学教授)と約40年前、アメリカン・フォーク・ミュージック(昔でいうマウンティン・ミュージック)を演奏されていました。お二人とも西南学院大学のの8期先輩です。

 長い海外勤務の後、東京でカンバーランド・フォークスというバンドでオールドタイムを楽しんでいらしたそうですが、13年前の転勤で福岡に戻られてからは、娘たちと「橋本健&中島ファミリーバンド」としてコンサートやイベントで演奏してきました。

 アメリカ南部白人音楽フォーラム、福岡アジア博覧会、アメリカン・トラディショナル・フォーク・ミュージック・フォーラム、三菱ソシオテク・フェア、稲佐山ブルーグラス・フェス、飯田高原ブルーグラス・フェス、中島ファミリーバンド「ファイナル・コンサート」等など数多くの出演があります。

 ところが中島ファミリーバンドとのお付き合いは音楽ばかりではありません。時には英語の先生として歌詞の和訳や英語の宿題までみていただきました。その代わり、子たちはジャム好きな橋本先生のお相手をしなければなりませんでした。

橋本さん
1988年4月、三井徹金沢大学教授の「アメリカ南部白人音楽フォーラム」での演奏。福岡アメリカンセンターにて

 一度ギターを手にされたら、2〜3時間は続きます。子たちは学校と同じで1時間ごとに休憩したいのですが出来ません。大好きなお菓子を食べたいのだけど、それも2〜3時間は我慢しなければなりません。ですが、このジャムでオールドタイム音楽まで学びました。これはアメリカでの演奏の際にたいへん役に立ったようです。

 しかしなんと言ってもビル・モンローに始まりレッドウッド・キャニオン・ランブラーズ、ピーター・ローワン、アリソン・ブラウン、マット・グレイザー、アメリカCBS放送局スタッフ等との通訳ではたいへんお世話になりました。

 昨年還暦を迎えられてからは、ますますその声に磨きがかかり、現在ではご自身のバンドThe Old Ridge Ramblersを率いて毎月の博多中洲「チャックワゴン」でのライブも好評を博しています。


Home

Top

Back

Next