勉強は学校で
 ある日のこと、家内から長女の成績について相談を受けました。算数の成績が全然ダメで、ほとんど0点に近い点数であることを。「まさか!」「そんな馬鹿な」。信じようとしない私の目の前に家内がテスト用紙を出しました。

 それから1週間後、先生が使う指導要項の本を手に入れ、子たちの夕飯後に家内がその手引書をもとに教えました。晩酌しながらその様子を見ていると、家内が一生懸命説明していますが、長女といえばテレビに視線をやったり、手遊びしたりで全然落ち着きがありません。横から注意すると、その時だけは聞いているものの、また上の空です。

 私も晩酌をやめての二人がかりです。しかし同じことの繰り返しでした。「ダメだこりゃ!」「もう、止め!」「止め!」

 私のどなり声でなおさら頭の中はパニックだったことでしょう。
「なんで!」「明日から家での勉強はナシ!」「宿題も学校でやれ」

 要するに物事に集中することができないからでした。いくら自宅で勉強させても同じだと思いました。「家では勉強するな」「その代わりバンジョーの練習をやれ」と言い聞かせました。難しいバンジョーを練習することで、まずその集中力を養おうと思ったからです。結果は3ヶ月後ぐらいから出始めました。もちろんgoodでした。

 あとの三人にも言い聞かせました。「家では勉強するな、楽器の練習をせろ」「その代わり、学校では先生が喋ることをよ〜く聞け」

太宰府フェス
「第4回太宰府ブルーグラス・フェスティバル」で初めて演奏する4人娘。左から由美、絵美、美砂、美雅(撮影:古池英明氏)


中島ファミリーバンドの誕生
 1987年(昭和62年)の8月、「第4回太宰府ブルーグラス・フェスティバル」で演奏する日がやってきました。昨年は歌だけのステージでしたが、今回は4人とも楽器を持っての演奏です。誰の助けも借りない、一人前の出演バンドとして20分の時間を貰っています。レパートリーも5曲用意しました。

 ところがその日は朝から雨が振っていました。台風の影響で昼になっても止みそうにありません。とりあえず太宰府天満宮まで車で5分の藺牟田修君宅(いむたおさむ・ヒルビリーズのギター)で止むのを期待しつつ、待機することにしました。いらだつ心を鎮めるのにはやはり酒しかありません。一杯が二杯、二杯が三杯...、おっとっと、これ以上飲んだら...と思いつつ、酔い醒まし用にと、もう手には缶ビールが。

 夕方になってやっと会場入りです。ホロ酔い気分も天満宮の中に入ったらすっかり醒めてしまいました。地元の出演バンド以外にも大分、長崎、熊本、鹿児島、島根県からも来ています。学生時代の知人、友人もいます、そこでまた話が弾みビールです。

 この日に演奏するのを楽しみに、家族連れでやってくるグループもいるのです。もちろんキャンプ道具一式を持って。この雨の中、すでに前夜からテントを張っているグループもいました。それにしても出演バンドが次から次へとやってきますので、とうとう雨天決行となりました。

 この日のために頑張って来た子供達の為にも、最高の条件のもとで演奏させてあげたいとの、私の気持ちが通じたのか、まもなく雨が上がりました。観客もステージ近くに移動して来ます。もちろん椅子と缶ビールを片手に。皆んなも小学生の子どもが演奏するのを楽しみにしていたのでした。

 上がるわけでもなく普段の練習通り、演奏しました。大したものです、わが子ながら誉めてやりました。練習さえすれば小学生でもここまで弾けるのです。

ステージ衣装
ステージ衣裳は今回も家内の手作りです。1ヶ月かけて5人分を縫い上げました。ヨーロッパの民俗衣装をイメージしたワンピースとエプロンです。バンド名もシンプルで分かりやすい「中島ファミリーバンド」としました。


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