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9月30日(木)
 「今日はスカイ・リフトに乗るでェ」と朝早く三郎さんに起こされる。私達は怖くてイヤだったが、昨日から楽しみにしていたみたいだったので渋々付き合った。それにしても「三郎さんは若いなァ」、大阪弁でいうと「年はなんぼかいな!」である。

 この町の周辺にはヘリコプターでの空中散歩や、遊園地、田舎の雑貨屋さん、風土産物店、そうそうドリー・パートンの出身地でもあるらしく有名なアミューズメント&エンターテイメント・パークのドリーウッド、そしてショッピング天国のアウトレット・モール等々、遊ぶ所が山ほどあった。私達はこの2日間で目一杯の観光旅行を楽しんだ。

 「ナッシュビルの『ステーション・イン』と並んで有名なブルーグラスのライブハウスはジョンソン・シティの『ダウン・ホーム』だョ」と、ロニー・マッカリーに一昨日、教えてもらっていたそのダウン・ホームに着いたのは夕方だった。

 ステーション・インよりきれいだが、やや狭い(それでも150人位かなァ)。しかしトイレのドアがアコーディオン式なのにはバリ困った。地元の新聞やラジオで宣伝してたらしく(東テネシー州立大学=East Tenessee State University=ETSUの学校新聞でも)満員だった。1時間以上もかけてビル・クリフトン夫妻も見に来てくれた。

ダウンホーム

 渡米前の宝塚フェスで会ったジャック・タトルが私達をこの店に紹介してくれた。「さぁ、最後のステージだ。頑張っていくばい!」とステージに上がると、三郎さんとジャックが日本のブルーグラスについてベラベラ喋っている。それにしても長い喋りだ。

 ジャックが話しをまとめて私達に演奏させようとすると、また三郎さんが喋りだす。博多のお客ならば「早う始めんか!」と言うところだ。

 英語での司会にもようやく慣れて、楽しいライブだった。絵美ネェが歌詞を2回も忘れて歌えなっかった(代わりに私が歌った)けど・・・・。歌の曲やインストも早い曲が受けたみたいでブレイクした後、拍手をもらえるのはイイ気分だ。

 それにここはアパラチアのど真ん中。ナッシュビルよりもはるかにコユーイ本場中の本場らしい。アメリカ最後の演奏地として不足はないバイ。この日のライブの予定バンド『レジャータイム』(彼らの持ち時間を譲ってもらった)と2〜3曲の約束でステージ・ジャム。 しかし客席の盛上がりに乗せられて、“Roll in My Sweet Baby's Arms”や“John Hardy”など10曲ほど演奏した。

 12時近くにライブが終わったが、店で椅子を囲んでジャックのクラス(ETSU)の学生さんや地元のおじさん達とジャム・セッションを遅くまで楽しんだ。まだ楽器を始めたばかりの人もいたが、恥ずかしがることもなく、一生懸命プレイしている。ジャックもマンドリンで加わり、三郎さんは私のギターを握って楽しそうだ。私達もジャックの生徒になったつもりでジャムった。

 その夜はETSUの学生寮に泊めてもらった。しかしエアコンの暖房と冷房の操作を適当にしていたら、朝は北極の世界だった。お姉ちゃん達ゴメン。

10月1日(金)
 ジャックにETSUのキャンパスを案内してもらった。「このETSUがあるジョンソン・シティには4万人が住み、その内の1万人はここの学生だョ」と。そう言えば広い駐車場には車がいっぱいで、私達の2台の車を止めるのにもかなりの時間がかかった。

 昼からはまた5時間かけてナッシュビルに戻り『L&N』というシーフード・レストランで反省会をしながら食事をとった。テクニックよりも安定したリズムを、そして余裕をもったピッキングをなど・・・、これからの課題を与えられた。「明日は5時に起きにゃいかんけん、早う寝りョ」と由美ネェがうるさく叫んでいる時に、ブラウンちゃんからの電話。

 「何ごとかいなァ」と皆んな。今からこのホテルに来ると言う。夜中の11時だ。ゲイリーと2人でお別れの挨拶に来てくれた。四方さんは「こうまでしてくれるプロはいないョ」と感心していた。しかも美雅ネェはバンジョーのレッスン用のカセットを20個ぐらい貰い、感謝感激!!近々、日本へ自分のバンドと一緒に行きたいと言っていた。そして悲しくお別れした。

IBMAポスター

10月2日(土)
 ナッシュビル空港から退屈な飛行機の旅をして、なつかしい我が家へ。ホットする間もなく、時差ボケと戦いながらの学校生活。まさに天国と地獄だ。
 この旅行のために、母が銀行からたくさんのお金を借りたけれども、私達はお金で買えないたくさんの事を学んだ。また来年(=今年)も行きたい!

 最後に村中&岩藤のおじちゃん、四方さん、三郎さん、その他、私達のために協力して下さった方々、本当にありがとうございました。また迷惑をかけるかもしれませんが、次の目標に向かってブリバリ練習します。 



写真上はテネシー州ジョンソン・シティのライブスポット『ダウン・ホーム』、下の写真は90年のIBMAのポスター。

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