中島ファミリーバンド
アメリカ珍道中

中島ファミリーバンドの凄さに驚いたのは昨夏の宝塚フェスだった。それまでは可愛い4人姉妹のファミリー・バンドだったのだが...。彼女達の凄さは今回の米国ツアーでも遺憾なく発揮された。各地で絶賛されたブルーグラス・バンドとして、音楽の凄さはもちろん、4人の女子中・高生としての凄さまでもが発揮された...。最年少の中島美砂ちゃんがその道中をリポートする。何だか、コワイ...。

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 9月16日に大阪空港を発ってから、18時間後の夜8時半、ナッシュビル空港に着いた。雨だった。皆はタクシーで、三郎さん(注1)と私はさっきゴリラがひと暴れしたような四方さん(注2)の車で市内のショーニーズ・インというホテルへ向かった。四方さんは、ちょっと怖いおじさんだなあとその時は思った。

 車は無事に着いた...が。さあ、あとは寝るだけと思っていた私たちが甘かった。着くなり、三郎さんが「ステーション・インへ行かへん?」と言うではないか、まあ聞くぐらいならと思って行くと、ななんと!!あのデビッド・グリアとマイク・コンプトンがいるではないか!ビールを飲みながらだけど、凄いプレイしている。弾きながら音で遊んでいる。しかも楽しく。「言葉は通じなくとも、音楽は通じる。」ことを実感した。

 私たちはついていた....が、浮かれている場合ではなかった。いきなり、「ここで演奏せーへん、司会は適当でええから」なんて、三郎さ〜ん!ここアメリカだよ。I can't speak English なんだから。私はちょっとばかり三郎さんを甘く見すぎていたよううだった。

ステーション・イン

 ステージでは旅の疲れのせいか、アがることはなかった。バンド名や「日本の福岡から、やってきたファミリーのブルーグラスバンドです」みたいなことを喋ったけど、ほとんど通じなかったみたいだった。だけど、私の勇気をほめてやってください。

 姉達に「何かしゃべってよ」と言っても無視され、三郎さんに助けを求めようと捜すと、ビールを飲みながら「俺は知らへんでー」みたいな顔してるし、人生とはこのようなものか、と思った。ところがである、怖いおじさんと思っていた四方さんがステージに来て喋ってくれた(もちろん英語で)ので大助かりだった。この時から、私にとって四方さんは頼もしいお兄さんとなりました。

注1:このムーンシャイナーの編集長兼ブルーグラスCDの通版会社 BOMサービスの副社長。Bluegrass45のバンジョー奏者。 
注2:京都府出身でナッシュビル在住。ブルーグラス、カントリー音楽関連の仕事が主で、日本のミュージシャンのナッシュビルでのレコーディング等のプロデュースなど幅広い。


 店内はグリア&コンプトンが出演しているというのに(もっとも彼等の名前はスケジュールにはなく、別のグループのバック演奏だったけど)20人くらいのお客さんだった。福岡のチャックワゴンでさえ、私達のライブの時は40人ほどのお客さんで一杯になるのに...。ブルーグラスって、そんなに人気がないのかなあ?アメリカのナッシュビルで、しかもステーション・イン(注3)で。私にとってこれは七不思議だった。

 翌日は、こちらに来て初めてのレストラン。ウエイトレスの言葉がわからず適当に「Yes,Yes」と言うと、3つ多く料理がきてしまった。おまけに、あの大切な“英会話ブック”を無くしてしまったのだ。心配と不安で、これから先が...。

 しかし、ここでくじける私達ではないのだ。ダウンタウンにショッピングに行った時、分かりやすい英語で話してきた店員さんがいた。意味がすべて分かったのでうれしくなり、Tシャツを5枚も買った。

 夜は『一番』という日本料理店で、夕食をとった。刺身がうまかった。「冷えたビールがあれば最高なんだがなあ」と思いながら、母が飲んでいるビールを横取りして飲んでいると、四方さんが慌てて「子供がお酒を飲んだらこの店は営業停止やで〜」って言うもんだからビックリしてしまった。

移動遊園地

 その後、“Tennessee State Fair”という移動遊園地に行った。映画で見るよううな回転木馬や観覧車に、イルミネーションがいっぱい付いていて、まるでお伽の国の世界を見ているようだった。その中に、バリ強烈な、人を物扱いしているような乗り物があった。三郎さんが、「これ乗ってみらへん?」と言った時には、私は小走りにかけていた。(ホント三郎さんって私達より子供なんだから...)

 ところが、息を切らして駆けていると、大人がケンカしているのに出会った。最初はふざけ合っているのかなアと思っていたら、ヒエー!頭から血が出ている。こんなのはめったに見られないと思って、じっくり観てしまった。

注3:テネシー州ナッシュビルにあるブルーグラス専門のライブハウス。最近は日本人をよく見かけるという。

 翌日はオープリー・ランドに行く。ブルーグラス・ステージでバンドが演奏していた。初めて見るグループだったが上手だった。司会の人が面白いことを言ってるらしく、周りの人達が腹を抱えて笑っていたので、ついつい私達も笑ってしまった。あ〜あ!英会話をもっと勉強しておけばよかったな。

 ここにもたくさんの乗り物があった。「ええ〜ッ」というぐらい人がズラーっと並んでいたので、中島家代々の短気という血を受け継いでいる私達はその列に加わる気にはなれなかった。三郎さんだったら....かもしれない。

 奥に行くと、楽器がたくさん陳列してある建物があった。ネックがふたつある物や、バンジョーとマンドリンの合わさった物など、珍しい楽器ばかりだった。「やっぱり、ここは音楽の町ナッシュビルばい!」と感心させられた。オープリー・ランドで遊んでから、アリソン・ブラウンの家に招かれて行った。美雅ネエちゃんが3ヶ月かけて作った浴衣をプレゼントすると、たいへん喜んでいた。まるで青い目をしたお人形みたいだった。

 ブラウンちゃん(私達は彼女のことをこう呼びます)の家には、ボーイフレンド(注4)と、彼の子供(キャラちゃん)とお友達がいた。キテイーちゃんの掛時計があるダイニングで美雅ネエとブラウンちゃんが何やら話している。こんなに喋れるんだったら、なんでステーション・インで司会してくれなかったの!(私はまだネにもっていた)そう思っていると美雅ネエが「このキテイちゃんの時計は、カントリー・ゴールドに来た時に買った」んだって。そういえば彼女は猫が大好きだって聞いた事があった。彼女のCDにある"Lorelei"はここの猫の名前だったのだ。それにしてもブラウンちゃんは若いネエ!

 それからジャム(注5)をして、夜遅くまで楽しんだ。帰りに楽器の弦を一杯もらい、な、なんと!!それプラス美雅姉は、大切なハーバード大学のトレーナーをもらったのだ。ウッヒョー!スゲエー!

注4:昨年、アリソンと結婚したゲイリー・ウエスト。バークリー音楽院出のベーシスト。
注5:ジャムセッションのこと。


写真上はステーション・インにて、下のは移動遊園地。

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