だだをこね始めるのは二三才頃からでしょうか。自分の要求が通らない時の長泣きにはこちらも負けじと我慢比べをしました。うるさいですけど、なるべく放っておくようにしました。そうするとやがてこどもの方が根負けして泣き止みます。ここで折れたらひんぱんに長泣きすることになり、泣き続ければ要求が通ると思うからです。我慢することを覚えさせないと、あとでおもちゃ売り場やお菓子売り場で泣かれて困ってしまいます。
 
 うそをついたり、ごまかしたりした場合はことのほか叱りました。これだけは絶対しないようにです。私に分かれば怖いから、うそついたり、ごまかしたりするわけです。そこで悪いことをしても、反省して申し出れば許して上げるようにました。 
 
 保育園時代は押し入れに入れて、ふすまを閉めます。そして10分ぐらいしてから家内が助け出すことにしました。そして「ごめんなさい。もう二度としません」と言ってから許してあげることにしました。三女の絵美は保育園の押し入れにも度々入れられたようで、我が家でも最多記録保持者でした。

 小学生になりますと押し入れには入りませんので、外に出すことにしました。玄関のドアにカギをかけ、玄関のライトも消して真っ暗にしてから10分ぐらい出します。雨の日は長靴をはかせ、傘を持たせました。こちらは四女の美砂が最多でした。

 ところがある日の事、悪いことをした美砂を外に出そうとするのを長女の美雅が身を呈して止めました。怒った時の怖い私に抵抗したのでした。間違えれば自分が出されるのです。あとで、この妹をかばった行動を誉めてやりましたし、それから外に出すのは止めました。美雅が5年生ぐらいだったと思います。

 その後は和室の電気を消して10分間正座です。これは中学生まで続きました、そのうち足が短くなるとか、がに股になるとか屁理屈を言うような年令になりましたので自然消滅しました。


美雅と美砂


雌しべと雄しべ
 4人の子育てでもっとも体力を消耗するのがお風呂でした。夏場は良いのですけど秋、冬の季節は風邪をひかせぬようそれはもうたいへんでした。4人の身体と頭を洗うのは短時間の流れ作業でスムーズにやらないと、一人はず〜と湯舟に入ったままだし、一人は頭にシャンプーをつけたままだったりと...。わたしの両手はふやけてシワだらけとなり、おまけに湯舟でクシャミです。

 双子が小学高学年になった頃だったでしょうか、どちらかが「赤ちゃんはどうしてできると」と聞いてきました。4人とも身を乗り出しています。ついにきたか...「え〜っと、何から話そうか」と考えていると、「うち知っと〜ぉる。学校で習ったも〜ん」と得意げな顔で美雅が言い出しました。あとの3人は今度は美雅のほうを向いています。

 「あのね、雌しべと雄しべがあってね...、そして雌しべに雄しべがくっついてね...」飛び飛びの言葉だけで、それから先がなかなか出てきません。そこで私が「男の人の精子が女の人の卵子とくっついて赤ちゃんが出来るったい」と助け舟を出しました。これもある程度考えていたつもりだったんですが、どう言う訳かいざとなると上手く言えません。長女が口を挟まなかったらおそらく「お母さんに聞け」と言ったかも知れません。


日本娘

やったらダメなこと
 まず夫婦喧嘩は子供の前では絶対にしたらいけません。口喧嘩もです。こどもには父親が母親をいじめているしか映らないのです。母親の存在にくらべれば父親は屁の突っ張りにもならないのです。例えば突然、停電になったとします。すると「お父さん」と助けを求めるのではなく、必ず「お母さん」と呼びます。こどもにとっては母親の存在は絶対的なのです。

 私は子たちの前で家内を抱き締めほっぺにチューして、パパとママは「こんなに仲がよいぞ」と見せつけました。こども心にもパパとママはいつも仲が良い、仲が良いのが当たり前なのだと思わせたかったのでした。子たちもも暗い家庭より明るい方が良いのです。

 次にこどもを叱る時は、ふたりで同時に叱ったらダメです。こどもの逃げ場をつくってやらなければなりません。父親が叱ったら、あとで母親が充分に慰めてやり、なぜ叱られたかを言い聞かせます。逆もまたおなじです。我が家では家内がめったに叱りませんので、また恐い私から慰められることで、子たちには効き目充分でした。ふだん怒らない人が怒ったら効くのです。

 それと中学生になったら叱るよりも、なるべく言い聞かせるようにした方が良いようです。口煩く叱ったら逆効果です。「それぐらい分かってる」と却って反発するようになります。そういう年頃なのです。

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