結婚4年でこども4人
 私は1974年(昭和49年)3月、8年掛かりで西南学院大学(福岡市)を卒業しました。ブルーグラス・ミュージックという音楽に魅せられ、またフォーク、ハワイアン、ロック、モダンジャズのグループを束ねた軽音楽同好会の結成、その活動にはまり込んだ8年間でした。その軽音楽同好会には後のチューリップの財津、吉田君たちも一時期、在籍していました。

 卒業したその年は、もう26才でした。そのブルーグラス音楽が縁で10月には早々と結婚(美智子・22才)。次の年の4月には早くも長女、美雅が生まれました。みかと読みます。明治38年生まれの親父が付けました。美しくて優雅であって欲しいとの願いからでしょうか。「名は体をあらわす」と言いますけど、残念ながらこの子には当てはまっていません。

 そして次の年は双子が生まれました。次女、由美と三女、絵美です。結婚して2年目には早くも娘が3人となりました。

 それから2年、4人目の娘、美砂の誕生です。息子とキャッチボールをして、酒を酌み交わすのがの夢だったのに。選りに選って4人目も女の子とは...。

 しかし女の子であってもわが子は本当に可愛いものです。特にヨチヨチ歩きの頃の可愛さは何とも言いようがありません。しかしその可愛さのあまり大半の親が「甘やかす」ことになる訳です。特にお子さんが「一人っ子」だったりしたらなおさらです。

 私は愛情も、お菓子も4分の1づつと子たちと家内に言い聞かせて来ました。可愛がっても、可愛がり過ぎ、甘やかしはダメです。

こども4人 写真は1979年(昭和54年)の夏。
後列、左から次女(由美)、三女(絵美)、長女(美雅)そして前列が四女(美砂)


身体に覚えさせる
 初めての誕生日を迎える頃になると、目が離せません。タンスにご〜ん。こっちでご〜ん。玄関から落ちたり、タバコを食べたり、硬貨を口に入れたり、さあたいへんです。「赤ちゃんの手に届く所に物を置くな」は鉄則です。私は扇風機とストーブには特に気を使いました。小学生の時「野口英世のやけど」と同じように指がくっついた女の子がいたし、足の指がくっついた子もいたからでした。これはぜったいに親の責任です。一生恨まれることになります。

 「○○ちゃん、ストーブに近付いたらだめでちゅよ。」ところがこんなことぐらいでは、赤ちゃんは聞いてくれません。私は子供の指をストーブの縁までもって行き、ちょっとだけ熱い目に遭わせました。目から火が出るように泣きます。可哀想だと思われるかも知れませんが、火傷させたほうがもっと可哀想なのです。身体で覚えますからこれ以後近づかなくなるのです。

 お風呂と同じく夕食時も戦争です。すぐさま子供達の顔には御飯ツブが、テーブルや床にはその日の献立が分かるくらい散らかります。おまけにスプーンや箸を持ったまま動き回ります。スプーンならまだしも箸は危ないのです。転んで目に刺さったらと思うと...。きつく言い聞かせますけどその時だけです。

 3度目には私のカミナリが落ちます。その手を叩き、箸の尖った先を腕にちょっとだけ当てます。触っただけですけど、子供には突き刺さったのではないかと錯覚し、猛烈に泣きます。これも怪我させないためです。

 子たちへのしつけの必要性を感じたのは、まず子たちを怪我から護るためでした。そのためには小さい頃から叩きました。


桃太郎

長女美雅が中学生の頃からでしょうか、家内が作るのを見ながら始めたのがこの人形作りでした。

小遣いが少なかったので、祖父母、アリソン・ブラウンやマット・グレイザーの誕生日のプレゼントになりました。この外に4点ほど紹介します。


良いことは習慣付ける
 私は小さい頃から虫歯に悩まされてきました。だから子たちには、歯磨きを口喧しく言って来ました。「朝とおやすみまえには必ず、またチョコレートやアイスクリームを食べたらすくさま歯磨きをするように」と。しかし仕事が忙しい時は義母に預けていたので、私の虫歯と同じでどうにもなりませんでした。昔に比べたら虫歯の子は少ないそうですが、わが子たちはいまでも歯医者に通っています。これは失敗でした。

 保育園では毎日、食事の前にお祈りをしてからいただきます。「天のおとうさま、いまここに、いただくごちそう、ありがとう、アーメン」これを「おとうさん、おかあさん、ごちそう、ありがとうございます、いただきます」と我が家流に替えました。

 マッサージをしてもらうほど気持ちの良いことはありません。機械よりも人の手がいいですね。私は若い頃から両足がだるくなる病気なので、家内に毎晩マッサージをお願いしてました。しかし台所の後片づけやら洗濯やらで長くはできません。そこで子たちに2人づつ交代でやらせました。手で叩いたり、揉んだり、抓ったりまた足で踏んだり、叩いたり、マッサージを遊びの延長のように教えました。いまも毎朝、交代でやっています。(平成12年に3女の絵美だけとなりましたのでこれで終りとしました。)

 私の幼少の頃、父親が帰宅の際、玄関に並び「お帰りなさい」の出迎えをやっていました。わが子にもこの時期からはじめました。玄関のチャイムを鳴らし、少し間をおいて「ただいま〜」とドアを開けると、4人の娘たちが正座して「お帰りなさい」と出迎えるのです。仕事の疲れも吹っ飛んでしまいます。

 また夕方には「ただいま〜」と大きな声で学校から帰宅するようになりますので、家内も必ず「おかえりなさ〜い」と負けないような大きな声で返事するようにしました。


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